ド田舎脱出計画20年物語

子育てしてると色々あります。全力で向き合います。ド田舎から大移動するまでを綴ります。

新婚旅行

結婚式も主賓が急逝するし

結婚式通夜だし

結婚式終わりで頭痛で寝込むは

散々でした

両親も義父も何とも言えない

表情をしていた

前日に主賓がなくなるわけで

席次表なども印刷し直しで

シールを貼るなども考えたが

そうもいかず

何しろ故人なのだから


そして新婚旅行へ

まぁド田舎の山奥の人

海外なんか行けやしないと思い

熱海を選んだ

出発からもうダメだ

飛行機搭乗で手間取る

羽田着いたらモノレールや乗り継ぎで

ビビる


羽田離婚が既に頭をよぎる

仕方ない自分が

何となくで選んだんだから

まぁこうなる

ここからはもう修行

無事に新婚旅行終えて

この人を家に連れて帰る

そう思うしかない

未だに何を食べたとかどこへ

行ったとか書けない

覚えていないからだ


覚えているといえば

熱海の温泉が素晴らしかった

朝ご飯の干物が美味しかった

それくらい

まぁ旅行だから写真も撮ったはず

覚えていない


ありがたいことだ

嫌な思いはきっとしていないのだろう

そういうことは思い出せない

縁というもの

お付き合いを始めて

この人とデートをすると

絶対何か起きる


ドライブ中に

飛び出してきた子供の自転車と

接触し子供がケガをし

私も頚椎を痛め

警察で私も指紋採取


バレエ鑑賞中に

この人の親類が亡くなり

フィナーレの所で帰宅を強いられる

結局帰宅しても何をするでもなく

パニックでこの人の親が

耐えられなくなり帰宅をさせたという

何ともお粗末な話


そして

結婚式でも

主賓のご挨拶の市長が前日急逝

もうこんな事書いたら誰か特定

されるかもしれないが

25年余沈黙していたんだ

書かせて欲しい

主賓のご挨拶無し?

そしてほぼお祝いの式が

主賓急逝により通夜ムード


もう

最悪最低

こんな人と

結婚した

最初っからこんな感じだった

船出から大時化だ

父の定年

父の定年で家の引越しを余儀なくされ

住みなれない土地へ両親は60歳で移り住んだ。

私は1人住まいを探し職場から近いところで住むことになった。


母親はそうとうきつかったのだろう

姑との暮らしから

はや2ヶ月で入院した

ハンガーストライキという強硬策に出た

栄養失調で入院

肺炎も併発

毎日病室に私は足を運んだが

父は毎日は来なかったそうだ


3週間の入院後

帰る場所は住み慣れないあの姑のいる家だ

なかなかの心労であったようだ

そこ意地の悪い姑

私に母の悪口を言うような祖母だった

溺愛した父親との暮らしは

さぞ嬉しかったんだろう


私はどんどん疎遠になっていった

仕事が忙しく

そして彼氏になったあの

無難な男とも結婚の話も出だした


丈夫で真面目

それでもういい

究極私を好きでいてくれたら

それでいい

そういう単純な考え方

色々と省きすぎだが

自己肯定感の低い私は

そんな感じで結婚を決めるのだ