ド田舎脱出計画20年物語

子育てしてると色々あります。全力で向き合います。ド田舎から大移動するまでを綴ります。

待望の妊娠

毎朝婦人体温計で体温を測り

子供が欲しいその一心で

義務的にお願いしますというような

やりとりの中

子作りをしていた

なかなか難しく第1子流産から

2年が経とうとしていた


周りはなかなかの騒々しさ

なぜにみんな非礼なのか

デリケートな事柄に土足で

どんどん踏み込んでくる

言葉も選ばず生々しいことも

聞いてきては不必要に

傷付けて去って行く


義祖母も男児を望み

苗字の継承を強く言うなど

周りを完全に保守的な思考で囲まれていた

守ってくれるはずもない


そして妊娠が認められてからは

つわりに切迫流産に切迫早産

入退院を繰り返す

人を一人身篭るとここまで女性の

生活は変わるのか

身体も心も劇的に変化し

日々が不安でしかない

そんな中仕事に家事をやる


快楽の後に

何も変わらない男性

日々飲み会や出張

社会的にも変化もない

守るべきものが出来たという

自覚すらないのだろうか


少なくとも

うちの旦那さんは

そういうタイプだ

妊娠を最初は喜んだが

色んなことがおろそかになると

妊娠を言い訳にしていると

言い出す始末


全てが想定内

とにかく2人

子供を育てる事がしたい

しかも素晴らしい人間にしたい

目の前の保守的な人よりも

未来の宝を持つことに

期待が膨らんでいった

流産後の生活

残念な事に第一子を流産した

身体にも心にも大変な負担を覚える

女性の身体と心は本当に

繊細なものだ


そんな事を

理解出来てサポートが出来る男性が

この世の中に存在するのだろうかと

未だに思っている

失礼な話だが九州の私の友達の

旦那さんには1人も存在しない


横になる私に

俺の飯は?


立ちくらむ姿に

なにやってんの?


メソメソ泣くと

いつまでそんな事やるの?


資源ごみの日の新聞を束ねる作業も

私がやる

食事作るのも私

掃除も私


彼がやるのは

洗濯物干しからたたみから

アイロンだ


とてつもないアイロンへのこだわり

1度かけたものを

やり直しされて以来

私は彼の物にはアイロンはしない

25年経つが未だにアイロンはしない


流産したが自分の子供が欲しい

それは変わらなかった

子供を持てば彼も

父親として活躍してくれるのではと

淡い淡い期待を持っていた

女は色々諦めが悪い

自分が選んだ人を悪く思いたくない

そしてその人を選んだ自分の

不甲斐なさも認めたくない

なんて自分勝手なんだ


私は日々の多忙の中

家事と仕事に追われながらも

子供を持つことは諦められなかった


大きな変化がきっと

人生で起きるだろうと

期待していたからだ

頑張っているから良いことが起きるだろうなんてそんな都合のいい話


ありそうで

あまり無いのに

過度の期待は落胆も大きい

旅行後

旅行中ほぼ保育士の気持ちで接し

無事にこの人を家まで帰さないといけないという義務感が生まれた


思い出すのは

歩く速度の遅さと

ご飯の量の合わなさ

田舎の人間はめちゃくちゃ食べる量が多い

時間をかけずに量を食べる

会話が少ないからだろう


帰宅し引越しの荷物の整理も

ままならず

翌日からは仕事だ


早朝起きて弁当作り

同僚と結婚してしまったので

弁当持参チェックが御局様方から入る

疲れる

本当に心労だけが募っていった


第1子妊娠

兆候はあった

だが外であった主催事業の最中に

激痛に見舞われ

流産

男児であった


計り知れないショックと

自責の念で

毎日泣いた

旦那さんも泣いていた

しかし

寝てる私に


飯は?


これだ

本性は

これだ


じゃないかとは思ったが

やはり

そうだったか


人の気持ち

人の痛み

それが理解出来ない

そういう人とどうやら

結婚したようだ


さて

どうしたものか

今はどうすることも出来ないが

先々は別離したい

この頃からだ

私は私の役目を終える寸前で

この人とも

離れる事を目標に

人生のプランを立てた